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2008年5月 2日 (金)

居心地のよさの代償とは

地方の現状は知りきれていない部分もあるが、日本の道路事情はアメリカのそれと比較してずいぶんましだと思っている。先日もアメリカのフリーウェイを移動中に感じたことだが、日本の道路はある部分では整備されすぎているように思う。もちろん整備されていることにこしたことはないが、もう少しアメリカのような路面状況でいいようにも思う。

石油市場の高騰を見越して減税を考え始めるアメリカと、道路整備維持のために、事実上の増税(一般財源化するということは結局は増税ということだと思う)という縮図を見れば、その差分はもちろん日本国民が払っている、ということになる。まあ日本人は金持ちだし、という時代だったらまだよかった。

こういったある意味歪んだ構造が随所にあふれるのが今日の日本である。財政赤字で切り捨てられる行政サービスを嘆くのは個人の自由だが、過剰なサービスが随所にあるのも事実である。

これはケータイの世界でも言えることだ。すべての端末向けに細かく最適化することは、居心地のよいサービスを消費者が享受できるという観点で一見正しいように思えるが、それが本当に正しいのかの判断とは、そうした状況を外から見てみるぐらいの視点が必要だと思う。そんな最適化なんていらない、という人も存在するだろう。進化することや、過剰なサービスを提供することだけが正しいわけではないと思う。

誤解を恐れずに書けば、例えば居心地の良さを追求するきめ細かいサービスを提供する、ということはサービスや事業を進める上での目的としてではなくむしろ戦術的な側面を帯びていることも多いことを認識した上でサービスや事業を考えるべきではないかということである。ことにプラットフォーマーに関わる人、関わろうとする事業・サービスはなおさらである。(これは当社の事業にも言えることである)

サービスを事業として提供する目的とは、サービスそのものではなく、人々から求められる・ああよかったと思われる状況を多様な状況において作り出していくことにあると思っている。特定の人から極めて高い「すごい」評価を得ることよりは、少しずつの「すごい」価値をたくさんの人からちょっとずつ勝ち取ることこそが正しいのではないか。(この文章はある意味プロデューサーの視点としては矛盾をはらんでいる)過剰な最適化は、たんさんの人からのまんべんなく得られ得る潜在的な価値を失うこともある。

ガラパゴス諸島と揶揄された、日本のモバイル業界。端末のみならずコンテンツ業界・ネットサービス業界も十分にガラパゴス諸島状態である。もっともガラパゴス諸島にも生態系があり、その中で生きていければそれでよい。それは揶揄されることというよりは、つねに外的な世界と相対的にそういう状況になってしまうことで、将来的な生態系の弱さを嘆くだけでよい。別に開き直ればよい。ただ、そこに突然先進的な生き物や黒船が来たときや、縮小均衡を迎えたクローズドな生態系に限界がやってきたとき、時代が求めれば新たなる最適化が起こることの繰り替えしが待っているだけである。逆もしかりである。

ケータイアレンジ・きせかえケータイは、万人には必要ないサーヒスであるが、今のところそうした機能が搭載されているハイテクケータイの購入を回避する手段は、日本国内ではかんたんケータイを買うとかそういう一部の方法ぐらいしか存在しない。フルブラウザーも登場してかれこれ4年になるが一向に普遍化しているように感じられない。一方でケータイクーポンやSNSは普遍化した。この違いは何なのだろう。

見せかけの居心地のよさではなく、普遍的な経済原理の上でも通用しうる本質的な居心地のよさ、それって何だろう、最近よく思うことである。広義の意味におけるハードとソフトの問題であるようにも思う。

小難しく書きすぎてしまったようだ。反省。

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