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2008年7月 5日 (土)

シンボルの必要性

商品やサービスにおいて「マス」をターゲットにするなら、強力なシンボルが必要である。シンボルのうち今回は「送り手側の人」について考えてみたい。これまでの消費材であれば、それはCMに登場する「イメージキャラクター」の場合が多かったような気がするが、最近は新製品発表会でプレゼンする「社長」「担当事業部長」であることも多くなった。アップルのシンボルは「ジョブス」である。任天堂は「岩田社長」である。ニコニコ動画は「ひろゆき」である。mixiは「笠原社長」である。

このように大衆は、ヒット商品をその性能や斬新さ(コンセプト等)だけを中心として、理解しているわけではない、ということは多くの人が理解できることだろう。私は案外そこに組み込まれる送り手側の「人」というものが大切であると思う。

雑誌であれば、編集長、ウェブサイトであれば、ウェブマスター、コミュニティーであれば、管理人、こうした人たちをもっと評価していかなければならないと思う。特にコミュニケーション装置であるウェブサービスではなおさらであると思う。

評価していく、ということはそれだけ責任も問われるわけで、そういう意味で、利用者から作り手側にまわる、というのは、多くの入社希望者がことさら話すことだが、案外言い切るのは大変な覚悟だと思う。利用者の視点で、というのは、自らが単に利用者であればよい、ということではない。利用者を常に先に導いたり、利用者をあるときは待ったり、利用者にひっぱってもらったり、異なる価値観を持つ利用者を包み込みうる強力な人間としての重み・多面的な視点が問われたりする、と思う。好きこそものの上手あれ、であるが、中途半端な「好き」や「興味」から作り手に回ってしまうことは、どこかでヤケドをすることだろう。

ネットサービスにおいては、このように「斬新なアイディア」や「強力なシステム」や「ビジネスモデル」で、ヒットサービスが作れるわけではないことをもっと強く意識する必要がある。キラーコンテンツは「確率論」とそこに介在する「人」という未知数のパラメーターが存在し、それは、仕組みやロジックや概念で制御しうるものではない。もっともだからこそ、弱者にもチャンスがいつの時代にもある、といえる。

誰しもがモバゲータウンやmixiを作れるわけではない。「確率」という不確定要素をいかに最小化し、確定要素で外堀を埋め、「人」の人選。別にネットサービスに限った話でないと思う。そして送り手の人の要素を過小評価してしまったとき、サービスは空中分解を開始することだろう。モノ作りはメディア・デジタルの世界でも結局はある種の職人芸であり、そんな簡単に大量生産できるものではない。職人がパワーを発揮しやすい状況を常に問いながら作り出していくことしかない。

とまあ、偉そうに書いてみた。たまにはいいかな、と思って。

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